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大沢啓二さんが死去。胆のうがんだった大沢あかねの祖父

元日本ハム監督で最近はテレビ番組で野球分析を行っていた大沢啓二さんが死去ました。

胆のうがんだったそうで 78歳でした。

「大沢親分」という愛称で親しまれていました。

大沢啓二さんは神奈川県藤沢市生まれで神奈川商工高でエースとして夏の甲子園に出場し、立教大では強肩強打の外野手でした。

後輩には長嶋茂雄さんや杉浦忠さんなどがいます。

長嶋茂雄さんも最近では元チームメイトが亡くなるという場面に多く出くわしているのではないでしょうかね。

最近は大沢あかねさんが劇団ひとりさんと結婚し、子供も生まれていましたが・・・

大沢啓二さんががんということだったので大沢あかねさんも早く結婚して安心させたい、孫を見せてあげたいという気持ちもあったのでしょうかね。

大沢あかねさんは父親がいない母子家庭だったと明かしていますし、それだけに大沢さんも気にかけていた様子でしたが・・・

大沢啓二さんは最近はサンデーモーニングも休み、映像だけ出演するとか、電話の声だけ出演ということもなく忙しいのかと思っていましたが、その後は体調が悪いと言うことが伝えられ余程悪いのかという印象でした。

テレビ出演の時にも痩せたかなとか、背筋も以前ほどの力がなく少し前屈み気味で元気がないな、なんだか体も小さくなったかなと感じていましたが・・・

まさかガンだったとは・・・体調不良は公表していたもののがんだったというのは明かされてませんでした。

大沢啓二さん昭和31年に南海(現ソフトバンク)に入団していて、その後の監督生活では主に日本ハムでの活動となりました。

選手時代にはリーグ優勝3度、日本一を2度を達成しました。

35年に東京(現千葉ロッテ)に移籍し、選手成績では通算打率は2割4分1厘、17本塁打だした。

選手としてはけして高いというわけではありませんが、監督となってからの印象の方が強いでしょうかね。

46年途中からロッテ監督となり51年から日本ハム監督を務めていました。

ここ最近は日本ハムへの思いいれが強く応援している様子でした。

56年には球団初のリーグ優勝しています。

日本ハム球団常務に就任したのちに平成5年に再び監督に復帰し、そのまま2年間監督でした。

全国野球振興会名誉会長、元理事長でした。

最近の番組ではTBSの「朝ズバッ」や「サンデーモーニング」。

大沢啓二さんは選手のプレーに対して「あっぱれ」「喝」とご意見番として野球界を盛り上げていました。

これまで定番コンビだった大沢さんー張本さんももう見れないのですね。

これから張本さん一人の出演となるのでしょうかね。


[ 2010/10/07 19:06 ] 生活 | TB(0) | CM(0)
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